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zoom RSS 「観光」と私 その4 郷土愛

<<   作成日時 : 2018/12/04 14:32  

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皆さん、自分の生まれ故郷は好きですか?
嫌いと言われる方もいらっしゃることと思いますが多くの方は「好きです」」と答えられるかもしれません。
私も生まれ故郷が大好きです。


私の生まれ故郷は北海道雨竜郡妹背牛町です。
http://www.town.moseushi.hokkaido.jp/

妹背牛町は全国難読地名の一つに挙げられます。

妹背牛町は「もせうしちょう」と読みます。


北海道は広大なため道庁の行政区が14の「総合振興局」、「振興局」に区分されています。
※かつては「支庁」と呼ばれていました。


妹背牛町は「空知総合振興局」エリアになります。
http://www.sorachi.pref.hokkaido.lg.jp/

私は妹背牛町に生まれ、小学、中学そして高校を卒業するまでの18年間、妹背牛町で過ごしました。

小学校は生まれた家から徒歩20分ほどにあった「小藤(こふじ)小学校」に通っていました。


残念ながらその小学校も過疎化の影響で昭和46年(1971)12月23日、私が高校2年の時廃校となりました。

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小学校の同級生は18名です。

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この写真は小学4年生の集合写真で、小学4年まで複式学級でした。


皆さん「複式学級」って知っていますか?

1学年の児童数が少なかったため、1年生と2年生、3年生と4年生、5年生と6年生が同じ教室で一人の先生に教わるのです。

黒板は真ん中に線が引かれ、左右で違う学年の内容が書かれるのです。



そして小学時代(小学4年生まで)に忘れられない思い出があります。

毎年、バスを利用して社会見学として札幌へ行っていました。


バスに乗車するとバスガイドさんから

「それではみなさんご一緒に校歌をお願いします」と・・・

しかし、同級生一同沈黙です!

私は心の中でまた「嫌な時間がきてしまった」と呟きました。


その理由は、歌う事が恥ずかしいということではなく、実はこの時私の小学校には「校歌」がなかったのです

バスガイドさんも「えっ!!!! 校歌がないのですか」と驚きの表情です。

これはこの年だけでなく前年もそうでした。




そんな光景を不憫に思った当時の校長先生(山口寅雄先生)が大学時代の友人である音楽教師に依頼し校歌を作っていただきました。

そして小学5年からはこうした見学でバスを利用する際、声高らかに校歌斉唱したことを今でもハッキリと覚えています。


そしてもっと驚く事が私を待っていました。

私は小藤小学校卒業後、妹背牛中学校卒業を経て滝川高校へと進学しました。

高校1年の芸術科目で「美術」「音楽」「書道」から1科目選択することとなり私は「音楽」を選択しました。

音楽担当教師は「奈良勝博先生」でした。


その後音楽の時間に奈良先生と何気ない会話の中から驚くべき事実が・・・

ナ、ナ、ナ、ナント、この奈良先生こそ私の小学校校歌を作曲いただいた先生だったのです。


人生の出会いとは本当に不思議なものです。感動しました!


今も小学校跡に路線バスが運行されていますが、その本数は昔とあまり変わりないように思います。

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現在の路線は、空知中央バス「北竜線」として「深川市立病院〜北竜温泉」の運行となっています。
http://www.sorachi.chuo-bus.co.jp/rosen/rosen.html

私の小学生時代は北竜温泉(1992年(H4)6月開業)はありませんでしたので、当時は中央バス深川ターミナルと北竜町恵岱別、竜西地区まで運行していました。




私が生まれた場所はこんな感じです。

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写真左手にあるのは地域の「千秋(せんしゅう)会館(集会所)」です。

地域農作業後の慰労会や婦人部の集い、そして七夕や地元お社のお祭りや子供会など、地域住民が集まる場所でした。


生まれた家が位置的に地域の中心にあったのでここに会館が建てられました。

私にとって生涯忘れることのできない場所です。



昭和43年(1968)の秋、私が中学2年の時、父が急逝します。



水田農家だった我が家は収穫期で人手が一番必要な時期でした。

近所の農家が総出でお手伝いいただき何とか窮地を乗り越えることができました。


地域住民の繋がりに私はとても感動し、社会人になったらその時の感謝の気持ちを伝えることができればと思っていました。



それから25年後の平成5年(1993)のお盆、前述の「千秋会館」に地域の方に集まっていただきBBQパーティを開催させていただきました。


父が亡くなった際、農作業をお手伝いいただいたご近所のご主人に当時の御礼の気持ちをお伝えし杯を交わさせていただきました。

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父が亡くなったとき13歳だった私もこの時38歳となりお酒でお相手できる年齢になっていました。



そして母(4年前逝去)も25年振りに再会した農家ご婦人達と会話が弾みました。.

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小さい頃、あれほど田舎暮らしを嫌だと思っていた自分がこうして田舎を堪能している事に不思議な感覚を覚えました。



昭和48年(1973)、生まれ故郷妹背牛町を離れ現在の石狩市に居を構え45年になりました。

たしかに年数的に言えば現在の石狩市に長く住んでいますが、私の思いはやはり生まれ故郷妹背牛町にあります。


その理由について考えてみました。

平成5年、私の大好きな源泉掛け流しの温泉施設「妹背牛温泉ペペル」がオープンしました。
https://www.town.moseushi.hokkaido.jp/kankou/onsen/peperu.html


平成15年12月、昨今オリンピック効果で人気急上昇中である公認のカーリング施設が妹背牛町にオープンしました。
https://www.town.moseushi.hokkaido.jp/machi/sporting_facilities/carling_hall.html



そして、お米の産地妹背牛町の主力米「ななつぼし」は特A米となっています。
http://www.kokken.or.jp/data/ranking_sanchi29.pdf#search=%27%E7%89%B9A%E7%B1%B3%27

是非、妹背牛町ふるさと納税でお取り寄せいただけましたら幸いです。
https://www.furusato-tax.jp/city/product/01433


そして何よりも私の「郷土愛」を支えているのはこちらです。


我が家先祖が眠る「妹背牛墓地」です。

北海道入植後、林家4代目当主としてお守りしていくのは私の使命です。

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先代の苦労はやがて地域最大の魅力ある土地への変貌するものと信じて止みません。

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私が生まれた昭和30年(1955)2月、産気づいた母に対し、父が馬小屋から馬を連れ出し「馬ソリ」で妹背牛の中心部まで産婆さん迎えに行ったと聞きました。

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父も母も亡くなった今、感謝の念だけが強く残っています。

「父さん、母さん、ありがとうと今一度言ってみたくなりました。





話は変わりますが、私が陰ながら応援している三セク鉄道が千葉県にあります。

それは「いすみ鉄道」です。
https://www.isumirail.co.jp/


その「いすみ鉄道」を応援してるグループがあります。

「いすみ鉄道応援団」です。

■いすみ鉄道応援団ブログ
http://isumi-rail4u.com/


「いすみ鉄道応援団」のすごいところは団員すべてボランティアでいすみ鉄道の活性化と存続活動を行っている点です。

しかも団員は地元だけでなく遠方の方もいらっしゃるのです。


これを支えているエネルギー源は、もちろん「いすみ鉄道をこよなく愛して止まない熱い思いであることはもちろんですが、沿線地域の「郷土愛」も後押ししているものと感じています。



近年こうした方々との触れ合い交流を通して、私も生まれ故郷の元気をもっともっと創出できればと感じるようになりました。

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