今では函館市と合併となりましたが、旧恵山町にバブルを象徴する温泉リゾート施設がありました。その投資計画数百億とまさに今から考えると信じられない計画が立てられていました。
この計画が成り立ったのも背後に銀行の融資があってこその話しでした。
時は1988年(S63)バブル創世期の頃です。
話しは札幌の鉄骨メーカーが恵山にあった温泉ホテル買収から始まります。
そのリゾートの名は「恵山モンテローザ」です。
1991年(H3)10月6日我が家も北海道全湯巡りの一環として立ち寄りました。
当時恵山と言えば「ツツジの町」といわれるくらい春のシーズンになると見事なツツジの花が咲き誇っていました。
リゾートに一歩立ち入るとモンテローザの代名詞とも言えるものが目に入ってきます。

↑【恵山モンテローザ】
黄金の涅槃像です。
何故この地にこの像なのかいささか理解に苦しみました。

↑【恵山モンテローザ】
元々は「恵山高原ホテル」建物に併設する形でこの恵山モンテローザの建物が増築されました。

↑【恵山モンテローザ】
正直言って、このような豪勢な造りがここに必要なのかと素朴な疑問が沸いてきたのです。
何ともくミスマッチな感じです。

↑【恵山モンテローザ】
建物付近の全景はこんな感じです。
この辺りにありました。
この時は温泉に入ることが目的でしたが、どんな湯だったかほとんど記憶がありません。
写真はありませんが、ミニ凱旋門、金閣寺を模した建物、そしてゴージャスな特大プールと信じられないくらいの豪華さを誇っていました。
しかし、栄華の時は思った程長くは続きませんでした。
我が家が訪問した1991年10月には当初計画が行き詰まり始めていたのです。
最終的に1998年、全ての施設が閉鎖となり翌年経営母体の会社もなくなってしまいました。
閉鎖にあたり施設解体の話しもありましたが、多額の費用がかかるためそのまま放置されました。
しかしその後「この地にカルト宗教集団が来る」という噂が流れ、それを心配した当時の恵山町がこの跡地及び施設を買収し現在に至っています。
恵山町民としては静かなツツジの町が一企業のバブルに踊らされ、結果として町が買い取ったため税金という形でそのツケを払わされる事になってしまいました。
バブル期、北海道内において幾多のリゾート事業が展開されていましたがここ恵山モンテローザはその栄枯盛衰がハッキリと表れた代表格かもしれません。
この記事を書くにあたり、ネットで恵山モンテローザの情報を検索すると面白いサイトを見つけました。
この恵山モンテローザのその後(廃墟)をレポートしているサイトです。
私も当時を振り返りながら読ませていただきました。
何となく当時の記憶が蘇ってきました。
興味のある方は下記サイトへどうぞ。
●潜入!! 総合リゾート施設跡地「恵山モンテローザ」を行く!
http://www.hokkaido-club.com/monterosa/monterosa.html
今思えば、あのバブルは本当に何だったのでしょうか。
次回は旧恵山町海岸にある無料露天風呂記事を予定しています。
それでは。
この記事へのコメント
nikumaru
(今も涅槃像が置いてあるお寺らしいです)
カルゴン
これも拓銀?
モンテローザとキリマンジャロは確か同じ経営者でしたよね?
温泉マン
涅槃像は常盤にあるのでしょうか。
実は私自身仏像にはあまり興味はありません。
当時の経営者がどうしてこの涅槃像にこだわったのか理解に苦しみます。
●カルゴンさん
確か道銀ではなかったでしょうか。
キリマンジェロも同じ会社です。
財閥系の名前を模した会社でした。
nikumaru
国道453号、札幌から右手(常盤というより石山ですね)に見えます。
そのお寺でモンテローザの涅槃像を買った、という話を聞きました。
じゅん☆
温泉マン
石山にあるのですね。了解しました。
今度支笏湖方面にでも行く機会があれば気を付けて通ります。
温泉マン
今考えると何とも整合性のない開発でした。
温泉入浴が目的で行ったのですが、浴槽や泉質等は全く記憶に残っていません。
まあこの界隈にはじゅん☆さんご訪問の恵山温泉旅館もありますし、モンテローザは特に印象深い温泉ではなかったです。