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zoom RSS 国鉄時代の時刻表 その3

<<   作成日時 : 2006/12/28 10:04   >>

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国鉄時代の時刻表シリーズ第3段です。
今回は時刻表に掲載されている鉄道以外の時刻表に関してご紹介します。

今回の国鉄時刻表シリーズで使用しているものは、昭和41年3月号〜昭和48年3月迄の間発行された13冊を元に書いています。

現在発行の鉄道時刻表と比べるとずいぶんと面白いデータがあります。

今回は私の小学校6年生卒業時の時刻表(S42年5月号)の中から当時の航空機時刻表に関して記事を書いてみます。


その前に私が育った田舎の小学校について説明させていただきます。

私は北海道生まれの北海道育ちです。
いわゆる根っからの道産子です。

生まれは空知地方の小さな町妹背牛町で小学校は市街地より6Km離れた農村地区にあり当時の全校児童数は100名に満たない小さな学校でした。
私の同級生の家業は全員農家でした。

現在その小学校は廃校となりその地に記念碑があるのみとなりました。


●小学校のあった場所




皆さん複式学級ってご存じでしょうか?

●複式学級とは・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A4%87%E5%BC%8F%E5%AD%A6%E7%B4%9A

つまり2学年が同じ教室で一人の先生の元勉強するのです。
私は小学校入学時の1年生から4年生まではこの複式学級で学びました。

先生は黒板をチョークで縦2等分し、各学年の授業内容をそれぞれ書きながら進行します。
片方の学年に問題を提起しその間もう一方の学年に対し授業を行いそれを繰り返します。

田舎育ちでなければ味わう事のない貴重な経験をしました。

その後小学校5年生からは単式学級となりましたがそれでもクラスの人数は19人でした。

私は小学校5年生まで学校行事で悔しい思いをした事があります。
それは各学年時に札幌方面へ社会見学に行ったバス車内の出来事です。

バスが発車し、しばらくのち女性ガイドさんはいつもこう言うのでした。
「皆さんで校歌を歌っていただけますか」

普通であればみんなで元気よく斉唱することでしょう。

しかし我が小学校には私が小学5年の春迄校歌がなかったのです。
本当なんです。

何故校歌がなかったのかはわかりません。
でも小学5年の春に校歌ができてからはその後の旅行が楽しくなりました。

実はこの校歌は当時の校長が大学時代の友人の高校教師(音楽担当)に頼んで作ってもらったのでした。

偶然とは恐ろしいもので私がその後進学した高校の音楽担当がその先生でした。


さて、話しを時刻表の話しへ進めます。
私が小学6年生の時、登別、洞爺湖方面へ2泊3日の修学旅行へ行きました。
当然バスの車内で全員で元気よく校歌を斉唱しました。

まず最初に立ち寄ったのは「千歳空港」です。

02_千歳空港


↑【昭和42年当時の千歳空港】
写真左側に写っている航空機は日本航空のボーイング727型機です。
尾翼付近の3つのエンジンが特徴的です。

●ボーイング727型機
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0727

当時は当然ボーディングブリッジ等というものがなく、タラップを利用して乗り降りしていたのがわかります。


当時飛行機に乗るという事は夢物語でした。
中学校へ進んでから同級生で「俺は飛行機に乗ったことあるんだぞ」と言っている奴を内心羨ましく思っていました。

当時、昭和42年(1967年)5月号の日本交通公社(現在のJTB)発行の列車時刻表巻末にある航空時刻表を見てみます。

S42年5月時刻表


↑【昭和42年5月号の日本交通公社時刻表】
何とも懐かしい時刻表です。

この時刻表を見て当時の懐かしい内容を発見しました。

日本航空の札幌〜東京線をご覧下さい。

そこに「オーロラ便」というのがあります。
こんな便が運行されていたのですね。

機種はDC-6Bと言われるアメリカのダグラス社が開発した大型レシプロ旅客機です。
レシプロ旅客機の傑作として名高い機種です。
いわゆるプロペラ機です。

●ダグラス DC-6B機
http://ja.wikipedia.org/wiki/DC-6


このオーロラ便の発着時間が今では考えられない時間帯になっています。

北海道からは早朝便です。
札幌(千歳)発4:50、東京(羽田)着7:00です。
所要時間2時間10分です。

東京からは深夜便です。
東京(羽田)発1:50、札幌(千歳)着4:20です。
所要時間2時間30分です。

こんな便が実際にあったのですね。
もし現在もあれば東京からの深夜便は是非利用してみたい時間帯かもしれません。

当時は航空3社で運行路線の住み分けがありました。

日本航空(JAL)は国内幹線及び海外路線。
全日空(ANA)は国内主要路線。
東亜国内航空(TDA)は国内地方路線。

と言う感じでした。

東亜国内航空も東京〜札幌間をYS-11機で運行していました。
やはりプロペラ機の所要時間は2時間30分でした。

●YS-11機
http://ja.wikipedia.org/wiki/YS-11

それと東亜国内航空便で今はなき懐かしき路線があります。
東京〜札幌〜旭川の記載があります。
経由便とはいえ、札幌と旭川の間で飛行機が飛んでいた事になります。
また、札幌〜帯広〜釧路、東京〜帯広〜釧路もあります。

やはり当時、北海道と東京間はまだまだ列車+青函連絡船で行く時代だった事が感じ取れます。


この深夜便は東京―福岡にムーンライト便(大阪経由)というのもありました。 

残念ながら騒音問題等により昭和49年9月にオーロラ便が、翌10月にはムーンライト便が相次いで廃止となりました。

それと当時の時刻表では札幌〜東京はジェット機便で1時間10分になっています。

現在のように航空路が過密状態でなかったのでほぼ直線的に飛行していたものと考えられます。


さて、小学校の修学旅行思い出についてもう1点書かせていただきます。

それは修学旅行1日目に宿泊した登別温泉についてです。

当時も登別温泉の名物と言えば地獄谷でした。

当時はあちらこちらから相当量の湯気が立ち上っていたと記憶しています。


地獄谷


↑【昭和41年6月の地獄谷】

現在は当時に比べるとかなり湯煙量は減った気がします。

やはり各温泉旅館での浴槽の大規模化や浴槽数の増大によるお湯の使い過ぎの影響かもしれません。


第一滝本館


↑【昭和41年6月の第一滝本館】
今から40年前(1966年)の第一滝本館の姿です。

今は近代的な大型温泉ホテルへと変身しました。


H3年4月の第一滝本館


↑【平成3年4月の第一滝本館】
15年前(1991年)の写真ですが規模の大きなホテルへと進化している姿をおわかりいただけると思います。


鬼の大金棒
←【鬼の大金棒】

第一滝本館のシンボルになっている「鬼の大金棒」です。

からくり時計になっています。



地獄谷の湯煙減少が気になり今後の湯量確保に一抹の不安が残りますが、いつまでも登別を代表する老舗温泉ホテルとしてお湯を守り続けてほしいと願っております。

●第一滝本館ホームページ
http://www.takimotokan.co.jp/


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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
じゅんさんつながりで、ブログに訪問させて頂きましたが、しばらく お邪魔できないと思いますので・・・・
ちょっと早いですが、 
今年は色々とありがとうございました。(^人^)感謝♪
ここの更新を楽しみにしていたんですが、来年また遊びに来ますね。

来年も よろしくお願いしますね。
よいお年を・・・o(^▽^)o
かりん
2006/12/28 13:09
ご訪問及びご丁重なご挨拶ありがとうございます。
今年6月からブログを始め本当に多くの方とお知り合いになる事ができました。
どうぞ来年もよろしくお願いいたします。

それでは良いお年をお迎え下さい。
温泉マン
2006/12/28 15:10
日にちがずれてのコメントで申し訳ありません。我が子たちは、「複式」学んでいます。(中学校は違いますが…)私自身が、全校生徒800人というところだったので、どんな風に勉強するのか謎?!でした。が…複式の方が、勉強に限らず、いろんな面で自分を出していかないといけないので、そんな面でも力がついていっているように思います。
騎手
2006/12/31 09:53
●騎手さん
初めまして。
コメントありがとうございます。
騎手さんのお子様も複式で学んでおられるのですね。
私は当時、授業中よく高学年の授業問題に手を挙げて質問し、先生に注意されたのを覚えています。
私の経験では最近問題の「いじめ」等無関係の世界だったと思います。
大きな学校にありがちな自分の個性が埋もれてしまう事もありません。
それどころか一人一人の個性が良く見える世界です。
人を助け合って生きていかなくてはならないという心はこの時自然と身に付いていたかもしれません。
これからもお時間がございましたらここをお訪ね下さい。

温泉マン
2006/12/31 10:21

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