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zoom RSS 北海道全湯巡りの旅 その1

<<   作成日時 : 2006/12/18 20:32   >>

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前回、我が家の「北海道全湯巡り秘話 その1」を紹介させていただきました。
温泉巡り秘話と言っても、特別な事もありませんので「北海道全湯巡りの旅」とお題を変えてその1回目を紹介させていただきます。

今回は1988年(S63)に行ったサロマ湖方面のお話です。

我が家が北海道内の全湯巡りをした旅を、できるだけ時系列にお伝えできればと思います。

我が家の旅は結構わがまま旅です。

本州への旅とかに関してはそれなりの準備と事前予約をしますが、道内旅行の場合は突然の思いつきで行動する場合も多いのです。

この年(1988年)のゴールデンウィーク直前になり、どこかへ行こうとの話になりいくつかの宿へ電話しましたがどこも満室でした。

当然我が家としては温泉がある事が条件となります。

本来ならば諦めて自宅で静かにしていればいいのですが、わが家の面々はそうもいかないのです。

しばらくあちらこちらへ電話をするとサロマ湖にある温泉リゾートホテルに空きがあるとの事で予約しました。

そこは「サロマ東急リゾート」です。
もちろん温泉のあるリゾートホテルです。

本来ならばホームページのURLをここで紹介するのですが、もうこのホテルはありません。
「ありません」という表現は正しくないかも知れません。
実は経営母体が替わったのです。

今は「サロマ東急リゾート」ではなく「サロマ湖 鶴雅リゾート」となっています。

場所は 北見市(旧、常呂町(ところちょう)) です。


●サロマ湖鶴雅リゾート
http://www.s-tsuruga.com/


ホテル前


↑【サロマ東急リゾート(当時)】
現在「サロマ湖 鶴雅リゾート」となっています。

現在、ホテル内部施設は大きく変わっているかと思いますが、いずれにしてもリゾートホテルの名にふさわしい、ゆったりとした時間を過ごす事ができました。


ホテル裏


↑【ホテル裏手】
何とも清々しい気持ちです。



サロマ湖湖畔


↑【サロマ湖畔】
後ろは海ではありません。
日本で3番目に大きい湖である「サロマ湖」です。



サロマ湖畔


↑【サロマ湖畔】
このようなリゾート型ホテルに今は泊まる事もなくなってしまいました。


地図はこちらへ



サロマ湖は名前の通り佐呂間町湧別町にも面しています。

お出での際は両町もごゆるりと観光されてみてはいかがでしょうか。

●佐呂間町ホームページ
http://www.town.saroma.hokkaido.jp/

●湧別町ホームページ
http://www17.ocn.ne.jp/~yuubetsu/



さて、佐呂間町、湧別町の名前が出ましたので私がこのブログで書いている国鉄時刻表シリーズに関して記事を書きたいと思います。

佐呂間町、湧別町はオホーツク海に面しており国鉄時代「湧網線」が走っていました。

佐呂間町は広く湧網線にいくつもの駅がありました。

佐呂間町市街(役場所在地)は内陸にあったので代表的な駅として佐呂間駅は富武士(とっぷし)地区にあり、浜佐呂間地区に「浜佐呂間駅」というのがありました。

湧網線の名前の由来は「別駅(湧別町)」と「走駅(網走市)」を結んでいたからです。

しかし中湧別〜湧別間は正確には名寄本線支線だったと思います。

まずは、昭和41年3月号の国鉄時刻表湧網線を見てみます。

湧網線


↑【湧網線時刻表(S41年3月号)】

この時刻表を見ていただければわかりますが、網走と中湧別間は1日7本が運行されていますが、中湧別〜湧別間は1日に2本の運行しかありません。

しかも駅は中湧別駅を除くと「四号線駅」と「湧別駅」の2駅しかなく、その所要時間は8分でした。

この事が鉄道マニアにとって湧別を有名にしたのです。

1980年(昭和55年)3月15日から10年間に渡り日本国有鉄道(国鉄)で 「いい旅チャレンジ20,000km」 というキャンペーンがありました。

1980年から10年間と言えば、その間の1987年(S62)4月1日の国鉄分割民営化に伴いJRになりましたが、そのままキャンペーンは引き継がれ1990年(H2)3月14日迄続けられました。

しかし、湧網線は1987年(S62)3月20日廃止となりました。


●いい旅チャレンジ20,000Km
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%84%E6%97%85%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B820,000km

このキャンペーンは元々、宮脇俊三著作の「時刻表2万キロ」がヒットしたことから生まれたと言われています。

キャンペーンの最終目的は、当時営業キロ20,000km強・242線区あった国鉄全鉄道路線を乗車するというものでした。

全国全線乗車する中でもなかなか乗車する事が難しい路線の一つにこの中湧別〜湧別の区間がありました。


キャンペーン概要は以下の通りです。

●いい旅チャレンジ20,000Km
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

■キャンペーン概要
ある路線の始発駅と終着駅で自身と駅名標が写った写真を撮り、これを事務局に送付すると、その路線を走破したことが認証され走破認証シールが戻ってくる。これを専用のファイルに集めていくと、走破した路線数に応じて記念品がもらえるというものであった。

本キャンペーンのルールに於ける「路線」とは国鉄及びJR各社の戸籍上の正式な路線を指した。従って実際の列車運用が戸籍上の始発・終着駅と異なる場合は特例として列車自体の始発・終着駅の写真が認められ、また路線を全線走破する列車がない場合は途中の乗換駅での写真も必要となった。

第一線区目の写真を送付したときに会員証が発行された。この会員証を呈示すると東急インが割引になるといったサービスも行われていた。

■批判
一部からは、同年末に成立した国鉄再建法に基づき特定地方交通線(廃線対象路線)に指定された路線の「お名残乗車」推奨キャンペーンだと批判された事があった。また、「商品でつるのはおかしい」「観光その他を無視し、ただ鉄道にやみくもに乗り歩く傾向を助長させる」といった否定的意見も存在した。更に、キャンペーンのルールが「駅名標の前で写真を撮ってくること」の部分について、ベタな鉄道マニア(乗り鉄)からブーイングが起こった。その理由は単純で、一日数往復、最悪の場合一往復しか運行されない線区であってもレンタカーなどで「ただ写真を撮るだけ」で、ルールがクリアされてしまうという“ルールの不備”があったからである。このように“乗らずに”全線完乗(?)したグループも少なくなかった。



どこの世界にも不心得者はいるもので、結果的にルール不備のため真面目に完全乗車したマニアの心を傷付ける形となってしまいました。

全く残念な事です。

現在でも残っている鉄路全線を乗車し続けるマニアがいる事も確かです。

そんな観点から考えると北海道から多くの鉄路が消えた事は北海道在住者に限らず、その乗車のため来道されていた鉄道ファンも寂しさを感じずにはいられません。


それではまた。



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2006/12/20 18:08

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
”いい旅チャレンジ20,000Km”そんなフレーズがあったのを覚えています。学生だった私は「旅行できるお金無いよね!」と思ってたように覚えています。
あまり旅行をしていない私ですが、今もあるかもしれませんが”青春切符”の購入を検討したことがあります。
鉄道は全国的に張り巡らされてあり、身近かつ歴史を感じやすい教材と思います。
もぐら
2006/12/18 22:27
「いい旅チャレンジ20,000Km」キャンペーンが始まった1980年は、建設会社就職2年目でお金は若干ありましたが、旅行に行く時間等全くない環境でした。
そんな事もあり独立した後はその反動と思えるほど旅行狂いになってしまいました。

もぐらさんのおっしゃる通り鉄道は歴史的教材ですね。
温泉マン
2006/12/19 13:02
先日、湧別まで行ってきましたが、なんで中湧別止まりだったんでしょうね。
昔は湧別よりも中湧別の方が栄えていたのでしょうか。
今はほとんど連続していて街の大きさも同じように思えましたが・・

そういえば昨年かな?廃止された石勝線の楓駅は1日に1列車しか止まらない稀有の駅で有名でしたね。つまり降りたら最後元に戻れない(笑
カルゴン
2006/12/19 18:01
中湧別駅は名寄本線への接続駅でした。
当時どこの駅も複数の路線が分岐する駅はそれなりに賑わっていたと思います。
湧別駅はその路線経路的に支線とするしかなかったのです。
中湧別、湧別付近の国道238号の道路経路にもその名残を見る事ができます。
複数の路線の分岐駅と言えば昔の岩見沢駅も活気がありましたね。

楓駅の事を知ってるあたりはやはりカルゴンさんは「ミニ鉄ちゃん」ですね。
一昨年(2004年)3月廃止となりました。
おっしゃられる通り1日1往復しか運行されていませんでした。
以前テレビで楓駅の事を放送するのを見たら、毎日決まって乗るおばちゃん1人の姿がありました。毎日このおばちゃんんの貸切列車状態でした。
温泉マン
2006/12/19 18:57
詳しい解説ありがとうございました。
分岐点というのはいつの時代も気持ちが高ぶりますよね。
鉄路だけではなく人生でも。

岩見沢は今でも機関区はありますが往時の賑わいは無いですね。
街も郊外が発展して市内中心部はだんだんとシャッター街になってきました。
まあ、市内中心部への大型店の出店にみな反対して郊外に追いやったせいではあるのだけど。
時代の流れを読み違うとこうなるという典型的な例でしょうね。
カルゴン
2006/12/20 11:57
鉄道が廃れたのはやはり車社会になったのが一番の要因ですね。
今や一家に一台、複数台保有する家も珍しくない時代となりました。
でも、忙しい時代だからこそのんびりした鉄道の旅がありがたく感じるのかもしれません。
温泉マン
2006/12/20 23:32

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